6月8日(月)、とある法廷で。

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 傍聴人入口から法廷に入ると、弁護人による最終弁論の最中だった。
 短く刈りそろえられた白髪頭。サイズがあっておらず、だぶついた黒いジャージの上下。2人の法廷警備員に付き添われた被告は、車いすに座り、握りしめた両手を頬に押し当て、時折うなずいているように見えた。

 認知機能に問題があるとされる91歳の老人。彼は何十年も暮らした練馬区の自宅アパートで、大家である女性を殺そうとした殺人未遂の罪に問われている。
 裁判長が「最後に言いたいことはありますか?」と大きな声で何度も問いかけるが、うまく聞き取れない。ついには警備員と書記官が立ち上がって、補聴器をあててもらい、被告はようやく自分が何をすべきなのか分かったようだった。

 裁判長があらためて聞く。
「最後になにか言いたいことはありますか?」

 マイクを使って被告はしゃべり始めるが、歯がないため滑舌が悪く、ほとんど何を言っているか分からない。ようやく聞こえてきたのは、自分は悪くない、自分を脅かす大家が悪なのだという言葉だった。

「あの女のやったことは怖い。ヒッチコックの映画を見るようだ」

「何を言っても全部自分が悪いと言われてしまう」

 喋ることすらおぼつかない被告から、ヒッチコックの名前が出てくることに意外性を感じる。次は何を語りだすのだろうと思ったが、ここは法廷だ。延々と続く呪いのようなつぶやきに、いつまでも付き合っているわけにはいかない。

「それは前にも聞きました。もういいですね。」

 被告の発言をさえぎる裁判長の声は、少しいら立っているように聞こえた。こうして、開廷から10 分も経たないうちに、弁護人による弁論と、被告人の最終陳述は終わった。「次回は判決です」という声を聴いて、十数人の傍聴人は一斉に外へと出ていく。

 東京高等裁判所、地方裁判所、簡易裁判所のある建物に入るには、1階玄関で金属探知機を通り抜け、荷物検査を受ける必要がある。1階にはタッチパネルのモニターが9つ設置されていて、ひっきりなしに傍聴希望者が訪れては 「事件名」「被告人名」などから目ぼしい裁判を絞り込んで、各法廷へと散っていく。

 薄暗いエレベーターホールを出ると、背骨のような太い廊下、そこから左右にあばら骨のような細い廊下が伸びて、それぞれに法廷が配置されている。背骨とあばら骨を仕切るガラス戸を開けると、手前から傍聴人入口、検察官・弁護人入口がならび、向かいには証人待合室がある。傍聴席が埋まると、「満席」という素っ気ない札がドアノブにかけられ、それ以降、人が入ることはできない。

 2 回の「満席」を経て、この日 2 つ目に見た裁判でも、年老いた男性が被告人質問を受けていた。法廷に入ると、検察官が被告の日々の支出について細かく確認している。

「なぜ収入が年金と生活保護しかないのに、新品の家電を買う必要があったのか。」
「出費を抑えたいのであれば、中古品を探すべきではないか。」
「1日3食1000円で過ごしているというのに、どうして次の年金支給日までにお金が足りなくなるのか。収入と支出が合わないのではないか」

 それに対し被告は「分かりません」「よく覚えていません」と答える。だが、大家とのやり取りの話になると、急に声が大きくなる。

「あいつは、家賃が払えないなら、俺にホームレスになれと言ったんです」

検察官は「逮捕時に貴方はそんな供述は一切しなかった」と淡々と指摘する。 被告は大家に金の無心を断られた後、衝動的に自室に火を放ち、そして逃げ出した。窓から煙が漏れ出すアパートに駆け付けた大家は、火事に巻き込まれ亡くなった。

 その日、東京地裁で開かれた何十件もある裁判のうち、たまたま選んだ 2 件。その両方で老人が罪を犯し、大家が巻き込まれ、それでも被告はその責は自分にはないと訴えていた。これが本当に偶然なのか、ありふれた刑事事件なのかは分からない。

 もし後者だったとして、2つの裁判に共通する断片を眺めてみる。
 大家とのやり取り以外に人との関わりが見えない高齢者。少ない収入と衰えていく心身によって立ち行かなくなる生活。徐々に追い詰められ、行き着く先がそれぞれの事件だったのかもしれない。

 法廷のモニターに証拠写真として大写しにされた一部が焼け焦げた部屋。ゴミ、衣類、日用品が雑然と床に散らばった情景を思い返しながら、裁判所をあとにした。

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