「ムカサリ絵馬」 絵師がつなぐ祝言と供養

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「ムカサリ」――山形県村山地方の方言で「迎えられる(嫁入りする)」を意味する言葉「むかさる」が転じ、結婚や婚礼そのものを指す。

この地には、「ムカサリ絵馬」という未婚のまま亡くなった故人のために、遺族が架空の婚礼の様子を描いて寺院に奉納する供養の風習がある。
「欠けてしまった人生の営みを全うさせてあげたい」
「せめてあの世では良き伴侶と幸せに過ごしてほしい」
「あの子が寂しくないように」
そう願う親心の祈りから納められる。幼少期や水子で亡くなった場合であっても、結婚適齢期を迎えるころに奉納されることも多く、そこには「死後の世界であっても成長し続けている」という死生観が宿っている。

山形県天童市にある鈴立山若松寺(れいりゅうざん じゃくしょうじ)。
最上三十三観音霊場の第一番札所としても知られている。
ここには、江戸末期から現代も数多くの絵馬が奉納され続け、ムカサリ絵馬の風習を支える中心的なお寺のひとつとなっている。

鈴立山若松寺 この参道の奥に本坊がある

 SNSで偶然目にした「ムカサリ絵馬」についての投稿に目を止めた。
山形県村山地方は私の母の故郷であり、小学生の頃は毎年祖母に会いに訪れていた場所だ。自分にとっては身近な土地に、これまで知らなかった風習があった。
調べると「なくなった人のために婚礼を執り行うことが供養になる」、という考え方を知る。実際にはどのように行われているのか、直接現地に赴き確かめてみたいと思った。
 
 7月下旬、標高400メートルに位置する若松寺を訪ねた。緑深まる雑木林の奥に佇む寺院は、背筋が伸びるような静けさと重厚感が漂っていた。
参道正面にある本坊で、絵馬の見学希望を伝えると中へ案内された。壁一面には色鮮やかな新郎新婦の額絵が並んでいる。絵馬と言ってもあの五角形の木札ではなく、B4サイズほどの用紙に描かれ額絵にして納められている。童顔の面影を残す若者の婚礼姿、和装やドレス、親族が集う披露宴の情景。どれも穏やかで温かい雰囲気に包まれている。

若松寺HPより https://www.wakamatu-kannon.jp

「こちらには奉納されたばかりの新しい絵馬60枚ほどお飾りしています。一年ほどお祀りした後保管庫へ移します。永代供養なのでずっとお預かりしますが、スペースも限られているので時期で入れ替えています。法事などの際は、保管庫からまたこちら本坊にお祀りされますし、近くに来られたご遺族も立ち寄られることもありますので、その時は事前に連絡をいただいて保管庫から本坊に移しています。」
 
 ムカサリ絵馬は遺族の手で描かれることも多く、素朴なものからアニメ風なものまで画風は様々だ。
しかし画力に自信がない、どんなお相手を描けば良いかわからない、という遺族の悩みもあり、その想いを形にする存在として絵師がいる。

 高橋知佳子さん。
これまでも多くの絵馬を若松寺に奉納されてきた。絵師歴21年目になる。
若松寺を訪れた翌日、ご本人の自宅で絵師になるまでのお話を聞かせてもらうことができた。

 もともと絵を描くことが好きだった高橋さんは芸術への進路を考えていた。しかし、絵で食べていけるのか?という周囲の心配の声と強い勧めから、高校卒業後は地元の農協へ就職する。しかし、そこで働く意義を見出せず退職し、その後も主に事務職に就いたが長く続かなかった。
 実家は代々続く本家で、幼少期から家の中で「黒い人影」を見かけることがあったという。妹たちとも「この家、お化けがいるね」と話題に出ていた。ある時、親戚のおじさんの目が原因不明の不調に見舞われた。病院では治療の手立てがなく、イタコと同じように死者の言葉を口寄せる巫女(オナカマ)に相談をしてみた。すると、「戦争で目を負傷した兵隊だった先祖がいる。お参りをしてあげてください」と告げられたのだ。
言われた通りにすると、おじさんの目は何事もなかったように快復した。
 また同時期、テレビの特集で「ムカサリ絵馬」を知る。山形県で生まれ育ったが、はじめて知る故郷の風習に感銘を受けた。「自分は絵が描ける。だから、その兵隊さんの絵馬を描いて供養しよう」と思い立つが、当時はまだ20代前半。日々の楽しさに追われ、そのまま月日が流れてしまった。

 転機は27歳。結婚して第1子を妊娠し実家に里帰りした時だった。
突然、方言で「目が見えない」を意味する「まなぐめね」という声が響いたのだ。驚き、母に伝えると「そりゃ兵隊さんでしょうよ?」と言われ、描き忘れていた絵馬のことを思い出す。すぐに制作し若松寺へ奉納した。すると、実家で長年見かけていた黒い人影はぱったりと姿を見せなくなったという。
 絵馬によって供養が果たされたことを実感した高橋さんは、2人目を出産した31歳のころ、絵師を目指すことを決意し若松寺の住職を訪ねた。訪ねてきた高橋さんに住職は「大変な作業だぞ」と、はじめは消極的な様子であった。が、以前高橋さんが奉納した兵隊さんの絵馬が印象的だったこと、そして、かつて活躍していた先代の絵師も同じ「チカコ」という名前だったという縁も重なり、絵師として受け入れられた。

高橋知佳子さん  方言の温かな響きと気さくな笑顔で終始和やかな雰囲気に

 絵師として試行錯誤する日々は怪異との隣り合わせだった。身体の重だるさや、棚に並べられた複数のVHSテープのうち、1本だけが突然落ちてくる。さらには、まだ赤ん坊の次女が布団の中で誰かに引っ張られるように動く現象があり「子供にまで影響があってはならない」と、時折お祓いをお願いしていた霊能者のもとを訪ねた。
そこで知らされたのは、故人の思いを掬い上げるには、自らも相応の覚悟と修行が必要であるということだった。

 高橋さんは、韓国の伝統的な巫俗(シャーマニズム)に精通した師のもとで、自らの心身を整えるための修行を重ね、故人の意思を正しく捉える術を身につけていった。すると次第にメッセージがより鮮明に伝わるようになり、怪異現象も収まっていったという。
「後から思えば、亡くなった方たちが『こうしてほしい』という望みや想いを必死に伝えたかったのだと思いますよ。私がそれを正しく受け取れなかったから、いろんな現象を起こして伝えようとしていたんだろうな。」
当時の出来事を、こう振り返っていた。
 故人の声に正面から向き合う術を得た高橋さんのもとには、やがて様々な事情や悲しみを抱えた遺族からの依頼が舞い込んでくるようになった。

 高橋さんが描くムカサリ絵馬は、単に生前の写真を模写するのではない。故人と対話し、その人が望む姿を一枚の絵馬にしていく。
その対話は、目で見たり耳で音を聴いたりするのではなく、眉間のあたりに浮かび上がる故人の姿を捉え、言葉の響きとして脳内に伝わってくるようだ。筆を走らせる際もあれこれと考えるのではなく、自然な筆の動きに導かれるように描かれていくのだという。
 ある、生前に身体が不自由で寝たきりの生活を送っていた女性の絵馬では、故人が希望した髪飾りをつけ、めいっぱいオシャレをして自分の足で立ち、理想の男性と寄り添い合う姿が完成される。
 伝統的な風習でありながら、決まった形に当てはめるわけではない。高橋さんは故人と遺族、それぞれの思いに耳を傾け、その人らしい供養の形を柔軟に探っている。
 20代で亡くなった女性の絵馬を描いた時のことだ。
故人から伝わってきた意向は、おかっぱ頭で、古風なデザインの着物という、若い女性にしては珍しい装いだった。一般的な婚礼姿とかけ離れた希望に、高橋さんは依頼主である母親にそのことを伝えた。
すると、「娘はダンサーだったんです。だから髪型や服装も個性的でした。娘は普通じゃ嫌なのかも」と、納得したように頷いていたという。
こうして遺族の中で生きる故人の面影を重ね合わせ、一枚の絵馬に仕上げていったのだ。

 高橋さんのSNSには、絵馬を依頼した遺族から感謝の声が寄せられてくる。
 
 献身的に両親の世話をし、生涯独身だった兄を亡くした妹さんのものだ。遺品整理の最中、「縁結びのお守り」が見つかった。生前兄からは「結婚に興味はない」と聞かされていた。だが、お守りを見つけた妹さんは、兄にも言葉にできなかった思いがあったのではないかと考え、絵馬に託すことにした。
完成した絵馬を目にした妹さんから、後日こんな言葉が届いた。
「兄の晴れ着姿をありがとうございました。選んでいただいた衣装の、緑を基調とした色合いは兄が好んでいた色です。兄らしい姿でした」。
 
 寄せられる言葉は、故人の人生や、遺された家族の思いによってさまざまだ。
 現在いる息子のほかに、数十年前に水子となった我が子の絵馬を依頼してきた母親がいた。高橋さんは水子の成長した姿を描く際、水子から「必ずお母さんの腕に抱かれる」というメッセージを受け取っていた。
数か月後、その母親から「息子に子供(孫)ができた」と連絡が入る。加えて孫の出産予定日は、絵馬の法要供養を執り行った日と重なっていたという巡りあわせに、驚きと喜びの声が寄せられていた。
 他にも、久しぶりに奉納された絵馬の子どもを見たら、はじめより幸せそうな表情になっている。きっと楽しい結婚生活を送れているのだろう。
幸せそうで安心した。
こういった声が、若松寺にも寄せられ続けているのだ。

 死者との対話、あの世での結婚生活――そう聞けば、世間一般からは非現実的なオカルトや、特殊な風習のように聞こえるのかもしれない。
実際、一部のSNSでは「怖い話」と紹介されていることもある。
「生存者を相手に描くと、あの世に連れていかれるため描いてはいけない」「未婚の死者が災いをもたらす」といった禁忌や伝承も残されている。こうした言い伝えが、ムカサリ絵馬にまつわる独特なイメージを形づくっているのだろう。
 しかし、高橋さんのもとに届く遺族の言葉からは、ムカサリ絵馬を納めるという供養が、亡き人のためだけではなく、遺された人のためにもあることが伝わってくる。
悲嘆に向き合いながらも、あの世であっても子や家族の幸せを願う思いは現実的で、普遍的な愛情そのものなのだ。

 若松寺本坊での見学後、参道出入口に古い絵馬も飾られている「絵馬堂」があることを教えてもらい向かった。一段明かりを落としたような静寂の中、そこには、古くは文久二年(1862年)から昭和初期にかけて奉納された、色あせた額絵たちが佇んでいた。
描かれた新郎新婦の装いは、時代の背景を感じさせる。
江戸末期の厳かな黒引き振袖や紋付姿から、明治末期から大正期に入ると鮮やかさを増した帯地、紋付き袴にカンカン帽を合わせる西洋文化を取り入れた新郎の姿へ。
中には、凛とした軍服姿で佇む新郎の絵も見受けられる。戦時下、若くして命を落とした我が子にとって、軍服こそが当時の正装であり、晴れ着姿だったのだろう。
額絵の一枚一枚に、それぞれの時代における「最高の姿」で我が子を送り出そうとした親たちの深い愛が刻まれていた。幾世代にもわたり紡がれてきた祈りと、時代の不条理をも飲み込んできた風習の重みを前に、ただ静かに息をのむ。

 時代や装いが変わろうとも、そこに込められた願いの本質は変わらない。
深い悲しみの渦中にあっても、遺された人は亡き人への思いとともに、これからの時間を生きていくことになるのだ。
高橋さんの手を通じて届けられる絵馬の中の故人の表情は、遺族が再び歩みだすための灯火となる。
今後もムカサリ絵馬を目にする機会があれば、故人だけではなく遺族も含めた彼らの物語に心を寄せていきたい。

そこにあるのは悲哀だけではない。

ここは、彼らの新しき門出を祝う、静かな拍手が送られる場所でもあるのだ。

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