視線の先にあるもの――映画『Michael/マイケル』を観て

夕暮れの街の交差点。ビル壁面の大きな電光掲示板にマイクを持って歌う人物の映像が流れ、背景の空にはつま先立ちで踊る人物の大きなシルエットが浮かんでいる。 Uncategorized

 映画館を出たあと、新宿駅へ戻る道の途中で足を止めた。ビルの上の大きな電光掲示板に、若い男性バンドの映像が流れていた。

 確か五人組ほどの、ビジュアル系バンドだった。センターのボーカルは、片手に黒いグローブをはめてマイクを握り、軽くステップを刻みながら歌っていた。表情の変わらない整った顔。その視線は、カメラの正面から斜め左あたりを、当てもなく行き来していた。

 「違う」

 映像を見ていた私は、頭の中でそうつぶやいていた。私はもともとこの手のバンドに興味がない。だが、このときの「違う」は、興味云々の問題ではなかった。ついさっき映画館のスクリーンで浴びてきたものと、いま電光掲示板に映っているものとでは、何かが圧倒的に違った。

 もちろん私は、このバンドのことを何ひとつ知らない。電光掲示板で初めてその存在を知ったくらいだから、彼らがたどってきた歴史も一切わからない。電光掲示板から駅の方へ視線を移せば、スマートフォンで映像を撮影する若い女性もいる。このバンドに心を動かされている人も、確かにいるのだ。

 それでも、である。このボーカルの視線、体の動き、全身から伝わってくるオーラからは、一本の映画を成立させられるほどの物語を感じ取れなかった。このバンドに限った話ではない。私がこれまでに関心を持った他の多くのアーティストであっても、『Michael/マイケル』のような映画の主人公になる姿を想像できなかった。そう考えたとき、マイケル・ジャクソンの世界に対する影響力と、エンターテイナーとしての偉大さが、色濃く浮かび上がってきた。

 正直に言えば、マイケル・ジャクソンが生きていた間、私は彼の良さをよく分かっていなかった。「世界で最も偉大なスーパースター」という世間の評判は耳にこそしていたが、それがどれほどのものだったのかを、自分の目で確かめる機会には恵まれなかったし、自らその機会を得ようともしなかった。スーパースターと言っても、結局はただのエンターテイナー。人々の心を動かすのは、娯楽の範疇でしかないと思っていた節があった。

 そのことを悔やんだのは、映画『Michael/マイケル』の冒頭、幼い彼がジャクソン5の一員として活動を始めるシーンを観たときだった。

 映画の序盤、インディアナ州の工業都市、ゲーリーにあるジャクソン家でのことだ。ある夜、暗いリビングルームの中で、幼いマイケルが窓越しに外の景色を眺めている。そこへ父親が「もう一回やるぞ」と声をかけ、マイケルを演奏の練習へと引き戻す。ソファに腰掛けて見守る父の前で、マイケルは四人の兄たちに加わり、五人一列に並んで練習を再開する。

 父のジョセフは、非常に厳しい人だった。五人兄弟をパフォーマーとして育て上げ、ジャクソン家を支える頼みの綱にしようと考えていた。その期待の大きさゆえに、子どもたちには毎日厳しい練習が課される。幼いマイケルは、そんな父にある種の反抗心を抱いていた。

 その反抗心が、マイケルの視線に現われていた。ソファに座る父が、歌うマイケルに向かって「俺を見ろ」と言い続ける。けれどマイケルは、父を見ない。カメラがマイケルの顔をアップでとらえる。視線の先そのものは、画面には映らない。それでも、視線の角度から、今マイケルは父を見ていないということがわかる。父の指示通りに歌いながらも、視線は指示とは違うところへ向けられている。ちらりと父親に目をやることはあっても、そこに視線を定めることはない。

 ところが、舞台に立ったときのマイケルの視線は、練習のときとはまったくの別物だった。突然父が持ち込んできた、ナイトクラブでのデビュー。初めてのステージで、目の前には大勢の観客がいる。しかも全員大人だ。緊張で固まってもおかしくない。だがマイケルは「ずっと行きたくてたまらなかった遊園地でやっと遊べる!」とでもいうように、目を輝かせながら堂々と一曲を歌い上げる。視線は見るべき場所にがっちりと定まっている。まるで「父さんに指示されなくても、僕にはちゃんと分かっているんだよ」とでも言うように。そんなマイケルの強い視線に、大勢の観客の目が釘付けになる。

 父に反発しながらも無意識のうちに刷り込まれたのか、テレビで見る憧れの歌手を真似するうちに自分のものにしてしまったのか、もしくは生まれ持った才能なのか。映画の中ではそこまで詳しく触れられていない。いずれにしても、八歳にも満たない小さな子どもが、初の舞台にもかかわらず、すでにプロ顔負けの視線を備えていたのは確かだった。そして私もナイトクラブの観客と同じように、スクリーンに映るマイケルの視線を追い続けていた。

 すでにこの世にいないはずのスーパースターが、息を吹き返し、私の目の前にいた。

 映画『Michael/マイケル』の中では、世界中の人々がマイケルの視線に強く惹きつけられていた。それは、ジャクソン5をスカウトしたレコード会社の創業者も同じだった。

 デビューからしばらくして、ジャクソン5として初のアルバムを収録する場面がある。十歳のマイケルが、一人で録音ブースに入り、ヘッドフォンを着けてマイクの前に立つ。メンバーである四人の兄弟と父、そしてレコード会社の創業者であるベリー・ゴーディが、ミキサー室の中からマイケルを見守る。

 『I Want You Back(帰ってほしいの)』のイントロは、弾けるようなピアノから始まり、軽快なギター、這うように音階を上下するベースラインとピアノ、ドラムへと続く。ハミングに入り、Aメロに近づくにつれて、マイケルのテンションはみるみる上がり、自然と体が動き出す。「When I had you to myself …」の 歌い出しに入った頃には、すっかり曲の世界にはまり込み、大きくステップを刻んでいる。今自分が録音されていることも、マイクとの距離を保たなければならないことも、すっかり忘れている。

 ミキサーの前でマイケルを見ていたゴーディは、溜め息をつきながら音楽を止める。「動くな。いいか、ステップは踏むんじゃないぞ。音が入ってしまうから」。ゴーディはマイケルに何度も言い聞かせる。だが、マイケルの動きは止まらない。出だしでは大人しくできていても、イントロが進むにつれて体がリズムに乗り、どうしてもステップを刻んでしまう。また音楽が停止する。録り直しは何度も続き、ゴーディは「これはだめかも」と言わんばかりの、うんざりした表情になる。

 もう何テイク目かもわからなかった。ようやくマイケルは、ステップを何とか最小限に抑えた。少し歌いにくそうではあるが、それを感じさせない、力強くのびのびとした声が、マイクを通してミキサー室のゴーディに届いた。ずっと表情を曇らせていたゴーディの顔が一変した。両目を見開き、口元には笑みが浮かんでいる。何の言葉も口にできなかったが、ゴーディの顔は、ビジネスの域を超えた、純粋に音楽を楽しむ喜びに満ちた表情に変わっていた。

 何より歌っているマイケル自身が、誰よりも音楽を楽しんでいた。歌う喜び、音楽を楽しむ喜びが、聴く者の心へまっすぐ流れ込む。音楽を金儲けの手段とする大人の心までも、音楽の喜びで満たしてしまうのだ。

 私にとって、映画『Michael/マイケル』の最大の魅力は、まさにここにあった。

 映画の中では、ほとんどの間、マイケルの曲が流れている。どれもキャッチーなメロディーで、思わず踊り出したくなるほどリズミカルだ。そこに幼いマイケルの屈託のない歌声が乗る。友達と遊んでいるときのような無邪気な声でありながら、音程は一つもずれることがない。完璧と言えるほどの確かな技術と、聴く者の心を一気に引き寄せる表現力。その両方に、音楽の喜びを伝播させていく十分な説得力がある。

 デビューの場となったナイトクラブでも、『I Want You Back』を収録したスタジオでも、その後の数々のツアーでも、マイケルからあふれる音楽への情熱は周囲に伝播する。私自身までその場に居合わせているかのように、伝播の瞬間をはっきり感じ取ることができる。その時間が何よりも爽快で、幸せで、感動的だった。マイケルのパフォーマンスを観た人々の顔には笑みが浮かぶ。中には踊りだしたり、叫びだしたり、泣きだしたり、気を失ったりする人までいる。気づけば自分の目頭も熱くなっている。音楽を慈しむ気持ちが共有され、世界がひとつにつながる瞬間の尊さを、マイケルは映画の中で何度も気づかせてくれた。

 マイケルの視線の根底にあったのは、「音楽は素晴らしい」という想いだけではなかった。映画の脚本を手がけたジョン・ローガンは、マイケル本人が書き残した何百ページものメモや歌詞を読み込んだ上で「音楽には世界中の人々をひとつにし、世界を癒す力があると、本気で思っていたんだ」と語っている。作中でマイケルを演じた甥のジャファー・ジャクソンも、「音楽を通して人々を結びつけることは最初からのビジョンだった」と明かす。(映画『Michael/マイケル』劇場用パンフレット所収のプロダクションノートより)

 音楽の素晴らしさを目の前の一人ひとりに届ける。人種を越えて、世界中の人々すべてに広げていく。自分の歌で世界をひとつにする。この想いは、願いでも野望でもなく、自らに課された使命をまっとうする意思だった。そして映画の中のマイケルは、その使命さえも楽しんでいるように見えた。生前の彼が抱いていたその情熱は、時を超えて制作陣へと伝播し、この映画の核となった。

 新宿駅前の電光掲示板を見て「違う」と感じた理由は、ここにあったのだ。

 映画を観終えた今、マイケル・ジャクソンの意思は、世代を超えて世界に伝わり続けていると感じる。彼が世を去って十五年以上が過ぎても、彼の視線と音楽は色あせない。スクリーンを通して、マイケルがまるで目の前で生きて歌い踊っているかのように、私の心をつかんで離さない。「ただのエンターテイナー」の次元をはるかに超えた存在として。

コメント

タイトルとURLをコピーしました