この夏は、花火について知ろうと決めていた。
きっかけは、俵万智さんの著書『生きる言葉』だ。舞台『正三角関係』の稽古場を見学した際のエピソードに触れて、こう綴られている。
殺人をかくも丁寧に裁きつつ戦争をする国家とは何
俵さんがこの作品から受け取ったメッセージを、短歌にしたためたものだ。
「火薬が何に使われるかは、平和の指標なのだ」
後に記されたその一言が、頭にこびりついて離れない。

梅雨が明けて一気に蒸し暑くなった7月中旬、東京都墨田区の「両国花火資料館」へ向かった。
入場無料で、展示室がひとつの気軽に立ち寄れる資料館だ。
入館時は貸切状態で、スタッフの方から直接、花火の歴史について教わることができた。
「もともと花火というのは、亡くなった人の冥福を祈るために、天へ向かって打ち上げるものだったんです」
東京で知らない人はいないであろう、隅田川の花火大会。その始まりはなんと徳川吉宗の時代、享保18年(1733年)だった。日本で最も古くからの花火大会だそう。
「きっかけは、前年に江戸でコレラに似た疫病が流行したことでした。同じ年に享保の大飢饉もあり、多くの人々が亡くなったのです。その死を悼み、幕府肝入りの大規模な慰霊祭が開かれました」
幕府が水神祭を、同時に川岸の水茶屋が川施餓鬼を催した。施餓鬼とは、亡くなった人を供養する仏教行事のこと。川で溺れた人の冥福を祈るのが川施餓鬼だ。
「その際、川岸で商売をしていた店や宿がお金を出し合って、20発ほど花火を打ち上げたといわれています。二度と変な疫病が流行らないように、悪疫退散と慰霊の願いを込めた花火でした」
以降、夏の風物詩として毎年のように花火が上がるようになり、現在に至るのだという。
「もう一つ、花火の意味合いとして大きいのは“奉納花火”です。例えば、静岡県湖西市の諏訪神社では、お祭りで手筒花火を奉納します」
見せていただいた映像では、太鼓やほら貝の鳴り響く中で、数十人の男たちがそれぞれ抱き抱えた花火から火柱を噴き上げていた。自身の胴体と同じくらいあろうという、巨大な手筒花火だ。こちらも江戸時代から続く神事で、無病息災、五穀豊穣を願って花火を上げるそうだ。
仏教行事でも神社の祭事でも、共通して願いを込めた花火を捧げている。
「お仏壇や祭壇には、お線香やろうそくに火を灯して供えますよね。それを大きく拡大して考えると、天に向かって花火を上げるというのは、お線香やろうそくを灯すことと同じような意味合いなのです」
そうか、花火を通して、天に願っているのだ。
スタッフの方の話を聞いて、花火に願いを込める理由が腑に落ちた。
すっかり頭が花火モードになったので、この機会に以前から興味のあった日本製の線香花火をやってみることにした。ネットショップでも購入することができるが、それではなんだか味気ない。調べてみると、横浜に花火大会の演出から打ち上げまでを手がける会社があり、家庭で楽しめる手持ち花火の店頭販売もしていることがわかった。

ずらりと花火が並ぶ店内を眺めていると、いかにも昔ながらの、稲わらに火薬を塗った線香花火が目に留まった。
「この線香花火は、下ではなく斜め上に向けて楽しむタイプです」
店員の方に教わりながら、花火を選ぶ。
かつては香炉の灰にわらの花火を立てて鑑賞し、そのようすが仏壇の線香に似ていたことから、“線香”花火と呼ばれるようになったそうだ。それなら、打ち上げ花火の代わりにちょうどいい。

数日後、自宅で夫とちいさな花火大会を開いた。主役はもちろん、あの線香花火だ。
わらの持ち手をつまみ、そっと火に近づける。
ぼうっ、と先端が一気に燃えると、わらの先で、ぱちぱちという音とともに火花が咲いた。
説明書きの通りに息を吹きかけてみると、ぱあっと火花が大きくなる。
上に向けた線香花火は、ミニチュアの打ち上げ花火みたいだ。

あっという間に終盤。火花の線が柔らかくなると、少しして火が消えた。
「少し前まで、三河地方では花火を“上げる”ではなく、“立てる”と言っていました。花火の起源が、地面に竹の筒を立てる立花火だったためです」
両国花火資料館で聞いた言葉が思い出される。
これはあくまで個人的な解釈ですが、と前置いた上で続けられた言葉が耳に残っていた。
「そのように言われ続けたのは、打ち上げ花火が上げられてきた意味合いも関連しているのかもしれません」
火薬は言葉のようだ。
使い方ひとつで人の命を消すことも、慰めることも、楽しませることもできる。
花火に火をともす自分も今、火薬を使っている。
ゆっくりとかみしめながら、花火を立てた。

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