「なんでオランダに食文化ってないんだろうね」
オランダ人のシルバが言う。
すると、オランダ人のダーンが、「オランダに食文化がないってどう言うこと?あるじゃん、ハー リン(ニシン)の尻尾を手で掴んで食べたり、年越し前にオリーボーレンを食べたり」
「そうだけど、じゃあメインディッシュは?」
「スタンポット、AVG…。」
普段は弁が立つダーンが、オランダ料理を思い出すのに時間をかけていると、シルバがすかさず 言った。
「ほら、ないじゃん」
オランダに住む前も、当時オランダ在住1年の日本人から聞いていた。オランダ料理があまりな い、と。その言葉を聞いた時は、密かに疑っていた。本当に食文化のない国なんてあるのか。も しかしたら知らないだけで本当はあるんじゃないか。
しかし3年近くアムステルダムに住んだ今、自信を持って言える。オランダ料理はあるにはある し、食文化は確かに存在する。しかし極端にレパートリーが少ない。フランス料理、スペイン料 理、ギリシャ料理、と言うと、数えきれないくらい種類があるものである。だから2週間の旅行ご ときで食べ切れると思ってはいけない。しかしオランダ料理はどうだろうか。頑張れば、1週間で いけるかもしれない、とも思う。
そもそもオランダ人は、日本人と比べて食に対する執着が明らかに薄い。オランダ人が大学のラ ンチに持ってくるのは8割以上がサンドイッチ。しかしこのサンドイッチは日本人が思い描くBLT や卵サンドイッチのようなものではない。多くの人が、見たこともないくらい薄いサンドイッチを 食べている。挟まっているのはチーズ一枚。市販で売っているスプレッドひと塗り。稀に副菜とし て生のパプリカを丸ごと持ってくる人もいる。
ランチタイムにこの話をオランダ人、ニナにすると、即座に反論された。
「そんなことない!ほら見てよ。私はちゃんと2種類だから」
そういうニナの手元を見ると、パンの上に乗っているのは、カッテージチーズとスライスしたきゅ うりの2種類だった。
「ごめんごめん、2種類だね」 そう言いながら、そうか2種類の人もいるか、と当時はそれなりに納得した。
しかしオランダ生活が長くなるにつれて、別のṖに気づく。そういえば、2年半昼休み中に何度も 会っていたニナが、カッテージチーズときゅうりのサンドイッチ以外を食べているところを見たこ とがない。他の具のサンドイッチを持ってこないのだ。何年間も全く同じランチを食べ続けるの はニナだけではない。
「私のお父さん、朝と昼、毎日全く同じサンドイッチを食べてるんだよね。あれ本当にどうやっ てるかわからない」
シルバはそういう。ダーンもそうだった。2年半の間、いつも見かけるたびにグラノーラと緑の粉 (青汁のもとのようなもの)とヨーグルトを食べている。
ある日、ダーンにこう聞いてみた。
「オランダ人っていつも同じもの食べている人多いよね。ダーンもそうでしょ?」
そういうとダーンは、得意げな顔でこういう。
「最近はたまにサンドイッチを食べてるから、一種類じゃなくて2種類だよ」
あ、2種類なんだ、とも思ったが、冷静に考えると2種類でも少ない。何年間も2種類の全く同 じランチを食べ続けるのは、想像するだけでも苦行である。そういえば随分前、違和感を感じて ダーンに聞いたことがある。
「同じものを食べていて飽きないの?」そう聞くと、
「日本人も米をいつも食べてるでしょ、それと同じだよ」と言われた。
なるほど、わかるようでわからない。同じだろうか?確かに米は主食なので、飽きる、飽きな い、という概念がない。しかし、飽きないのはコメに合わせる主菜が全く違うものだからなので はないか。もし、毎日例外なくご飯と野沢菜、またはご飯と「ごはんですよ(商品)」だけを食 べるとしたら、確実に飽きる。私は食べ物に関しては5日同じものを食べたらもう限界が来るの で、半年たった頃にはもう発狂しているかもしれない。
では夜ご飯はどうか?オランダは、朝と昼がパンやサンドイッチなどのコールドフードとされてい るが、夜は温かい食べ物を食べる人が多い。代表的なオランダのディナーといえば、AVG、スタ ンポットである。AVGとは、aardappels(ジャガイモ)vlees (肉)groenten(野菜)の略語で、茹 でたジャガイモと野菜一種類、また焼いた肉をワンプレートに乗せた料理である。味付けは塩。 オランダ料理にスパイスや調味料は存在しない。そしてスタンポットは、茹でたジャガイモと茹で た野菜を一緒につぶして混ぜたものである。 オランダ人、フラーの家庭では、毎曜日同じ料理が出てくるらしい。しかも、例えば月曜日が AVGの日、とすると、全く同じ材料(同じ野菜、同じ肉)が出てくるらしい。またシルバの友人 は、夜ご飯に「健康的だから」という理由で、(細かい具材は忘れたが)焼いたチキンと、野菜 を組み合わせたプレートを、毎日同じレシピで食べていると聞いた。どんなにそのプレートが健 康的だとしても、毎日同じものしか食べないのは本当に健康的なのだろうか?
つまりは、多くのオランダ人は朝、昼に同じものを食べ続け、夕方でさえも限られた種類の食事 を繰り返している、ということになる。ここまで来ると、同じ料理や具材を食べ続ける、という ことにこだわっているのだろうか?とさえ思えてくる。スーパーにこんなにたくさんの食材が売っ ているのに、サンドイッチといってもAVGといってもバリエーションを持たせることをできるはず なのに、なぜかそうしなんだ?お気に入りの食材を食べ続けることは、美徳なのか?
スティーブ・ジョブスは毎日黒のタートルネックを着てた、と聞いたことがある。理由は、洋服を 選ぶことに使う資源(時間や思考力)を最低限にするため、というような理由だった。おそら く、世界を変えた会社を作り上げたスティーブ・ジョブスのこの「こだわり」というのは、成功 の理由の一つとして扱われているのだろう。だから当時スティーブ・ジョブズの周りにいた人たち は、彼ことを「ダサい」と思ないどころか、むしろかっこいいとおもったのだろうと思う。これ と同じだろうか?拘らないことにこだわるかっこよさみたいなものはあるのだろうか?
また、別の質問も浮かんでくる。飽きる、というのは、本能や直感ではなく、環境によって育つ 感情なのだろうか?いろんな種類のご飯を毎日食べられる環境にいて初めて食に対して「飽き る」という感情が生まれるのであって、同じものを食べて育てば、「飽きる」という感情は育た ないのだろうか?
私が、飽きるという感覚が本能からきている、と思っていたのには理由がある。きっかけは、高 校の生物学の授業である。授業で、人間が本能的に食べ物を欲する時には、生物学的な理由があ る事がある、ということを習った。例えば、疲れている時に甘いものを欲するのは、糖がエネル ギーの元だからである。他にも、体内に水分が足りなければ喉が渇き、体が食べ物を欲している 時にはお腹が空く。
栄養の授業では、バランスよく、いろんな種類の食べ物を食べることが大事だ、とならう。例え ナッツ類が健康に良いとしてもナッツばかりを食べると健康が偏ってしまう。だから、私たちが 同じものを食べたくない、と思うのは、体にいろんな栄養素を送り届けるための本能的な役割な のではないか、と思っていたのだ。今冷静に考えてみると、人間の本能がどこまで必要な栄養素 を本能的に見出せるかはṖだが、そんなおかしな話ではない。
しかし25歳でオランダに住み始め、オランダ人が同じ食べ物を当たり前のように食べ続ける姿を 見て、私のこの当たり前だと思っていた、「食事の飽きは本能からくる説」が打ち砕かれたので ある。
友人アラートに、「オランダ人ってなんでみんな同じものばっかり食べてるの?」と聞くと、「(食 事は)実用的なものだからだよ」という。 20代の頃、アジアの複数カ国に住んでいたアラートは、毎朝、近くの店のチャーハンを食べてい た時期があったという。店にチャーハンしかメニューがない、というわけではない。ほかにもた くさんメニューがあるなか、チャーハンしか選ばなかったそうだ。理由は簡単だから。
「もちろんいい食事はいいなと思うけど、それが面倒なものではあって欲しくないなって思うんだ よ。」
他のオランダ人と話しても、食事は「効率」重視だという。やはり、ある程度は、食事の準備に そんなに時間をかけたくない、という思いがあるらしい。確かに、オランダの朝ごはんとランチ は、準備いらずである。家族でランチを食べるときも、パン一斤(オランダのパン一斤は長い) を真ん中に置いて、バターやチーズなどの具材をテーブルに置くだけで準備が完了する。あとは、 家族のメンバーが自分でパンに具を挟んだり、スプレッド塗ったりするだけだ。これが、典型的 なオランダ人家族のランチらしい。
この話をしていた時、あるオランダ人にこんな質問をされた。
「わたしたちからすると、逆に日本人とかみたいに毎日いろんな種類のご飯を用意するのって、 どこでそんな時間作ってるの?って思う。朝早起きしているとか?」
他にも、忙しい人はどうするの?だの、ミールプレップ(週末に1週間分の食事を用意するこ と)をするの?だのいろんな質問を受けた。食事の準備に時間をかけずに育ってきたオランダ人 からすると、1日のどのタイミングで、いろんな種類のご飯を作る時間があるの?と不思議に思う らしい。つまりは、オランダ人は食事の準備にかける時間と労力が圧倒的に少ない。そういう意 味では、多くのオランダ人は日本人よりも多くの時間を持ち合わせていて、その余った時間を他 のことに使うのが当たり前になっているようだ。
そう考えると、結局オランダ人の食事スタイルというのは、やはりスティーブ・ジョブズの黒ター トルネックに近いものがあるのかもしれない。日本人からしたら、毎日同じものばかり着ていな いで、他の素材とか色のものを着たくないの?と思う。けれども、オランダ人からしたら、ここ に思考力や時間を費やさない生き方というのは理にかなっているのであろう。さらに、そう育っ てきたのであれば、わざわざ他の洋服を買ったり、コーディネートを考えたりするのが億劫にな るのかもしれない。


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