ある日、気づいたらそこにいた。
部屋の隅の天井に、白くもやっとしたものがあった。
バレーボールくらいの大きさ。最初は蜘蛛の巣か、埃が溜まったのかと思った。
くもだった。
夏の始まりの日だった。
何をするでもない。ただただそこにぽかんと浮いている。
くもの子供なのかもしれない。これから大きくなるのかもしれない。
何か食べるのかと思って、くもの下に猫用の餌を置いてみた。ウェットタイプの缶詰。
昔、野良猫に餌をあげた記憶から、餌というと缶詰しか思い浮かばなかった。
くもが一体どうやって床にある缶詰を食べるのかなんて、聞かれたら馬鹿らしい。でも、考えもしなかった。
仕事から帰ってみると、床に置かれた蓋を開けた缶詰は、無惨にも雨に降られて水浸しになっているだけだった。
雨を降らせるのであれば、と思って下に観葉植物を置いた。
よく水をあげ忘れて土がカラカラになっている、ガジュマルの鉢。数年来の部屋の相棒だ。
いつ雨が降るのか、どういうサイクルなのかわからないけど、ちょうど家にいてのんびりしている時にぽつりぽつりと降り出すと、植物の葉をたたく雨の音に気持ちがほどけて心が安らぐのだった。
せんぷう機で風を起こすと、気持ちよさそうに薄く伸びて、風に身を任せてすーっと流れていった。
まるで流れるプールに流されて遊ぶ子供のようだった。
うろこ雲のように、アーティスティックに天井を彩ることもあった。
たいてい気まぐれで、そういう時はくもの機嫌が良いんだと思う。
いたずら心が起きる時もある。吸い込んで消えてしまったら怖いと思いながら、小さい掃除機でくもの端っこを吸ってみた。
途端に吸ったところが消えたので、急いで掃除機を下ろし、2度と近づけまいと誓った。
ある日、目覚めたらくもが2つになっていた。
同じ大きさのバレーボールくらいのくもが2つ、並んで浮いていた。
さすがにギョッとした。
くもは、増えるらしい。
2つになって、お互い仲良くしたりするのかと思ったら、やっぱり何もせず、そこにただぽかんと浮いているだけだった。
1つ目のくもと同じように、たまに風に流れて、たまにうろこ雲で天井を彩って、たまに雨を降らせた。
くもが2つになったことで、雨の範囲が広がって、くもの下の植物は2つに増えた。
こちらも水をあげないのが定番だった名前のわからない植物。これ以上くもが増えても、もう下に置く植物はないぞ。
うろこ雲の範囲も少し広がって、天井の1/4くらいが覆われるようになった。壮観なのはそうなんだけど、これ、いつか天井全部覆われちゃうんだろうか。
あ、その時は掃除機で吸ってしまえばいいか。名案名案。
世間は連日真夏日。100日連続記録を初めて出したらしい。
クーラーが嫌いだから、暑くてもつい窓を開けてしまうこの部屋は、外の蒸し蒸しした空気をまとって、天井のくもも心なしかふっくらしている。
その朝、ぼくは思わず息を飲んだ。
さらに3つも増えていた。
くもが。
3つも。
全部で5つ。
浮いてるだけなら何もしないけど、雨の量も増えるし、積乱雲なんて牙を剥き出してきたら、豪雨と雷に直撃されてぼくが死んでしまう。
5つになったやつらは、くっつくでもなく、離れるでもなく、なんとなく距離を保ってふわふわと浮いていた。
かわいいけど、怖いんだよな。
掃除機で吸えばいい、のはわかっているけど、やっぱりちょっとかわいそうじゃん。
でもね、ゴロゴロなんて音を出し始めたら、容赦はしないよ。今までも、たまになんとなく黒っぽい色になっていた時があるのを知っているのだから。
部屋の隅に、植物とバケツとタオルが溜まってきたある日、秋風がふっと吹いた日に、くもたちはさよならも言わずに消えた。
秋晴れとは言えない薄くくもがかかった日。
あのくもたちに連れられて、一緒に行ってしまったのだろうか。
5つに増えた植物だけが、今日も土をカラカラにして待っている。
次の夏、また来てもいいよとぼくは思っている。


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