青森県でも6月にしては肌寒いこの日、ウインドブレーカーを着込んで八戸に向かった。終日の雨予報により山歩きの予定を変更し、地域密着型の水族館へ行くことにしたのだ。
海岸線を車で走っていると、視界の奥に神社が現れた。上空を何やら白い群れが飛び交っている。遠目にも尋常ではない数であることがうかがえた。
「八戸市水産科学館 マリエント」に入館すると、先ほど見かけた群れはカモメの仲間、ウミネコであることがわかった。神社があったのは、ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されている「蕪島」だ。毎年3月から8月にかけてウミネコが飛来し、ここで卵を産み育てるという。
今はまさにシーズンの真っ最中。これは、見にいくしかない。
水族館を後にして、いざ蕪島へ。
島といっても戦時中に埋め立てられ、現在は陸続き。徒歩で赴くことができる。


島の頂上には立派な神社が建ち、奥にごつごつとした岩場が続く。
そこで先ほど見た群れが、島全体に白い点を散りばめたように、あちらこちらで動き回っている。
ウミネコたちの輪郭がはっきりしてくると、その数が想像を遥かに超えていたことがわかった。 ここ蕪島に飛来するウミネコの数は、3~4万羽といわれている。端から端まで、およそ300mほどの島を覆い尽くすのには十分すぎる数である。

ウミネコたちの鳴き声が次第に大きくなる。和名の由来になった通り、ミャーミャーと猫のような声の大合唱だ。こちらも負けじと声を張らないと、隣を歩く人との会話さえかき消されてしまいそうになる。
地面にはウミネコたちの落とし物がびっしり。魚のほかにオキアミなどの甲殻類も食べているのだろう。白色のフンの中に、ところどころピンク色が混ざっている。

マリエントで得た知識によると、今はちょうど卵が孵る時期のはずだ。運が良ければ、雛の姿を見られるかもしれない――。期待を胸に、鳥居をくぐった。

階段を数段上がったところで、その期待はすぐに叶えられることになる。
絶えずに響きわたるミャーミャー合唱の中から、ピーピーとひときわ高い声が耳に届いた。
よく見ると、石灯籠が並ぶ階段の両脇には、そこかしこに巣がつくられている。

いた!雛だ。
か、かわいい。
親鳥は虹彩が白く鋭い目つきをしているが、雛のつぶらな瞳は真っ黒。どうして動物の赤ちゃんは、みな黒目がちなのだろうか。ふわふわとした薄茶色の羽には斑点があり、どこかウズラを思わせる姿をしている。
雛たちは参拝客の往来をものともせず、親鳥に向かって鳴き声をあげている。親はというと、階段のど真ん中で抱卵するものもいれば、雛が雨に濡れないよう、翼に抱いているものも。
あちらでは巣材集めがおこなわれ、こちらには真新しい断面をした卵の殻が残されている。数日続いた雨が雛たちの体温を奪ったのか、中にはぐったりするものや、息絶えてしまったものも見受けられた。
ミャーミャーとピーピーが交錯して頭の中に鳴り響く。数万羽という、想像をはるかに超える数のウミネコたちが、今まさに、ここで命を繋いでいる。その光景を、これまた想像以上に間近で目の当たりにして、数と距離の感覚がエラーを起こしたようだった。




それにしても、こんなに人の近くで子育てをする海鳥がいるだろうか。本来、ウミネコは陸上動物が侵入できない絶壁や孤島を繁殖地に選ぶという。実際に、他の繁殖地は無人島であったり、立ち入りが禁じられていたりと、人間社会からは一定の距離が保たれている。
今や陸続きで神社への参拝客が絶えない蕪島が、なぜ日本一、そして世界一ともいわれる繁殖地になっているのだろうか。
一説には、蕪島がもともと海で隔てられた島であったことや、ウミネコが子育てをする時期に餌が豊富なことが理由とされている。とはいえ、ウミネコの行動範囲である東アジアをくまなく探せば、条件の良い場所は他にもあるはずだ。
かつて魚群探知機がなかったころ、八戸の漁師たちはウミネコを道しるべに魚を探したという。
毎年3月になると、蕪島に賑やかな鳴き声がこだまする。冬の厳しいこの土地に、春の訪れを告げて豊漁をもたらすウミネコたちは、古くから「神の使い」として地元の人に大切にされてきたそうだ。
それは今も変わらず、繁殖期には市から委託された団体が、毎晩3時間おきに見回りをおこなっているという。一方で、人が過剰に介入することのないよう、餌付けや追い回しを防ぐ啓発活動も欠かさない。
「つかず、離れず」の絶妙な距離感で、八戸の人々はウミネコたちの営みを見守り続けているのだ。蕪島を選ぶウミネコたちと人々の間には、特別な絆があるような気がしてならない。
階段を上りきり、ようやく本殿へ。巫女さんいわく、本殿の周りに営巣する個体は、蕪島の中でも特に人に対して動じないそうだ。賽銭箱の隣に巣を作るものもあり、参拝客が手を合わせる間も気に留めることなく卵を温め、雛の世話をしている。




逃げることも、寄ってくることもない、その距離感がなんとも言えず、心地良い。
ウミネコが描かれたお守りを手に、神社を後にする。
人間と動物の、ひとつの共存の形を見た気がした。


コメント