2026年、アムステルダム発、ケープタウン着の飛行機ゲート。あたりを見渡すと、白人ばかりで、黒人がほとんどいない。何百席もある大型の飛行機で見かけた黒人は、二人だけ。南アフリカは、9割が黒人の国なのに、である。
たとえ香港発だとしても、オランダ発だとしても、日本行きの飛行機には日本人がたくさん乗るものだ。同様に、南アフリカ行きであれば南アフリカ人が一定数搭乗しているだろう、と普通は推測する。しかし南アフリカ行きで黒人の人が見当たらないということは、オランダ人の旅行者だらけなのだろう。そう思っていた。
しかし、いざ搭乗してみると、南アフリカ人が、たくさんいることに気づく。自分の席に着いてゆっくりしていると、周りで飛び交う言語の多くが、オランダ語ではなく、英語であることに気づく。よく聞いてみると、イギリス英語に似たような、オーストラリア英語に似たような、けれども少し違うような英語。うーん、聞き覚えがある。あぁ、そういえば南アフリカ人の友達も、こんな感じのアクセントで話していたな。あたりを見回すと、やたらと賑やかで、機内で立って友達とおしゃべりしている人が多い。オランダ発の飛行機には何度も乗っているはずだったが、オランダ人は、ここまでも、社会的で賑やかだっただろうか?
そこで気づいた。このオランダからの飛行機に乗っているのは、白人の南アフリカ人が多かったのだ。
どう考えても統計と一致しない。南アフリカは黒人が9割で白人が1割の国のはずだ。もし統計が正しいのなら、少なくとも、搭乗者の半分は、黒人の南アフリカ人でいなきゃおかしいはずだ。本当にあの統計は正しいのか?とすら疑いたくなる。どの国にも経済格差というのはあるけれど、圧倒的な少数派の白人たちばかりが飛行機に乗っているなら、何か相当いびつな社会構造がないと、説明ができない。
この違和感は初めての経験ではない。渡欧して出会った、8人の南アフリカ人のうち7人は、やはり白人の南アフリカ人なのである。
ある日、アムステルダムで働く白人の南アフリカ人キャスに、なぜ私は白人の南アフリカ人にしか出会わないのか聞いた。
すると、キャスは迷わず答える。
「アパルトヘイトだよ。」
アパルトヘイトとは、1948年に南アフリカで行われた、人種差別政策である。当時、他のアフリカ諸国の中でも白人による差別や搾取が行われていたが、その中でもアパルトヘイトは特別だと言われる。それは、人種差別的な制度を持つ国はあっても、南アフリカほど積極的、そして徹底的に、差別を法律化した国がないからだ。
当時南アフリカ政府は、国民を「白人」「黒人」「カラード(白人と黒人のミックス)」「インド系」のいずれかに分類し、その分類によって、与える権利を細かく定めた。法的に白人を優遇し、白人以外から参政権、人種間結婚、居住、職業、教育など、さまざまな自由を奪った。
アパルトヘイトが行われた当時、様々な反対デモや反対運動が起こったが、学生を含む多くの黒人が血を流し、射殺されたという。そんな中ANC(アフリカ民族会議)という政党に属していたネルソン・マンデラが、反アパルトヘイト運動を行い、刑務所に入る。その後、白人のデ・クラーク大統領が1990年にアパルトヘイトを終える宣言をし、1994年全人種による選挙によって、解放されたネルソンマンデラが、初の黒人大統領に選ばれた。歴史的にはそんな流れである。
しかし、アパルトヘイトが終わり、人種差別の法が廃止されたといえど、所詮は30年前の話である。いまだに、ヨーロッパでの旅行や仕事ができるような、裕福で高学歴な南アフリカ人たちは、大体白人だそうだ。だからキャシーは、南アフリカを、「白人が王様のように振る舞う国」と表現する。
調べてみると、2023年の南アフリカの平均給与が、白人は年間655万円に対し、黒人は140万円ほどしかない。つまりは、今でも平均で5倍近くの収入差があるということだ。失業の餌食になるのも黒人で、2023年の失業率は、白人が8%であるのに対し、黒人が38%だった。
だから、多くの南アフリカの黒人は、ヨーロッパで旅行をしたり、仕事をしたくても、できない。収入が低い上に、教育レベルも高くないため、新しい機会を掴みにくいのだ。だから、私がヨーロッパで見る南アフリカ人は、ほとんど白人だった、ということになる。
アパルトヘイト後の人種差別に基づく経済格差は、ケープタウンを訪れた時、一目瞭然だった。参考までに、ケープタウンは「希望峰」のある、アフリカ大陸南西端にある街である。
カルクベイというエリアに行った日のこと。海沿の景色は目を見張るほど美しく、周りには大きくてカラフルな家が並んでいる。
一緒に旅行に行っていた南アフリカ人のジュリア曰く、この地区の家はほとんど白人のものだそうだ。今は法律上、誰でもこの地区の家を買えるものの、実際多くの黒人はこの高級住宅を買うことができない。
「あの四角い建物見える?」ジュリアが、あたりで唯一の集合住宅のような建物を指差す。周りの建物とはちがって、装飾もなく、シンプルなブロックのような見た目をしている。
「あそこはここで働く黒人のために作られたアパートなんだけど、部屋も狭いし環境も良くなくて。本当に働く人向けの場所というか。」
黒人と白人の居住する場所がはっきり分かれているのは、カルクベイだけではない。ケープタウンの航空写真をみると、大きな家がならぶ白人居住地と、小さな家が所狭しと並ぶ黒人居住地区が一つの線を境にくっきり分かれている。
白人の地区にはガーデンや、整備された車道、綺麗な屋根。しかし黒人の地区は車道も整備されておらず、地面は土のままで、屋根も老朽化したトタンで、できている。
他にも、人口を人種別に示した地図をみると、白人地区、黒人地区、カラード地区、アジア人地区が混じらず分かれているのがわかる。これは、ケープタウンのみならず、ヨハネスブルク、ダーバン、プレトリアなど、南アフリカ全土で見られる現象だ。
旅行中、社会地位の格差も一目瞭然だった。ケープタウンの郊外のホテルに泊まった時、出迎えてくれたオーナー、マネージャーの二人は白人。料理人、清掃員、修理屋の人は皆、黒人だった。
最初は、アパルトヘイト廃止前から、同じオーナーとマネージャーである可能性もあるとも思った。アパルトヘイト廃止前なら、この二つの役職を白人が担っていたのは当然と言えるだろう。けれども、宿泊中にマネージャーが辞め、新しいマネージャーが来ることになった。
新しく来たのは、若い、白人の女性だった。
他にも、観光中に見かけた工事現場や運転手など、ブルーカラーの仕事は、ほとんど黒人。おしゃれなワイナリーやカフェ、アートギャラリーなどに行くと、西洋系のオーナーや店員を多く見かける。数日南アフリカで過ごしただけでも、アパルトヘイト後の格差がくっきり残っているのがわかる。
父が10年前、仕事でケープタウンを訪れた時も、同じだったそうだ。会社の部長以上は全員白人。工場などで働くのは、全て黒人。もちろん、汚い仕事は、黒人しかしなかったそうだ。
ジュリアに、なぜ今でも、ここまでくっきりと格差があるのか聞いてみた。やはり教育の影響が大きいらしい。裕福に育った多くの白人は、良質な高等教育を受け、いい仕事を見つけ、いい収入を得られる。それに対し、多くの黒人は、いまだに満足に教育を受けることができない。だから、アパルトヘイト後の今でも、黒人の多くは、いい仕事に就けず、収入も低くなる。
もちろん、そんな中でも実力で良い教育を受け、いい仕事に就く事ができる黒人の人もいる。けれども多くの場合は、その人が家族で唯一いい収入を持つ人となるため、家族を養う必要がある。すると、同僚の白人とは違って、お金が手元に残らないのだそうだ。
住む地区も関わっていて、黒人の人たちが住む郊外の地区は、オフィスがある中心地から離れている。もちろん、これはアパルトヘイト時代のなごりだ。遠くて不便な地域に黒人居住区が設けられた影響が、今でも残っている。人によっては、片道3時間かける人も少なくない。時間も、お金も、交通機関に奪われていく。
参考までに、格差にも地域差はあるらしい。今回私が訪れたケープタウンでは裕福な黒人が少ないものの、ヨハネスブルクでは中流階級や裕福な黒人が増えてきているそうだ。つまり、ケープタウンでは人種による経済格差が一目瞭然であるのに対し、ヨハネスブルクではその人種による境界線が、はっきりしないこともあるという。
なぜこの現象が起こるのか調べてみると、観光業が中心のケープタウンとは違い、ヨハネスブルクがビジネスの中心地であることが関係しているようだ。ヨハネスブルクは、南アフリカの最大の経済都市。つまり、金融系を含む多くの大企業のおかげで、教育を受けた黒人の人たちが、比較的裕福になりやすい環境があり、黒人経営者や企業家も、増えている。
それに対してケープタウンは、17世紀のオランダ植民地時代からの長い歴史をもつ都市である上に、観光業や不動産業がメインの街である。外国人にも人気で、家賃が年々高騰していることもあり、いまだに元「白人の居住地」、つまり「良い立地の家」に住むことができる黒人の人は、多くない。とはいえ、近年ヨハネスブルクのお金持ちが、ケープタウンに移住する傾向がある。もしかしたら10年後には、ケープタウンの地理と人種の関係性も、変わっているのかもしれない。
さて、今でも南アフリカの雇用において人種差別はあるのか、つまりは教育以外の要因で白人が優遇されることはあるのか、と南アフリカ人の人たちに聞いてみると、あるにはあるらしい。
前提として、人種差別的な考えや感情があるかどうかは、世代によって違うそうだ。アパルトヘイトの時代を生きていた人たちは、差別的な感情を持つ人が多い。それに対し、若い世代、つまりは1994年アパルトヘイト廃止後に生まれたborn free (生まれながらに自由という意味)世代の差別感情は薄くなっているらしい。
私の知り合いの南アフリカ人の多くは、born-free世代、またはそれに近い世代だ。振り返ってみれば確かに、黒人差別的な思想や話を、聞いたことがない。むしろアパルトヘイトは酷い、悲しいことだ、というスタンスで話している。人によっては、白人でも、植民地の国であるイギリスなどに、怒りの感情を示している人もいた。差別的な発言の有無だけでは、差別的な思考の有無を判断できない。けれども、少なくともそういう言葉を口にする段階まではいっていないのは明白だろう。
しかし、例え差別的感情がなくとも、結果的に雇用で差別が起こってしまうことは、あるらしい。
日本では珍しいが、ヨーロッパを含める世界中の国では、コネ入社が当たり前である。履歴書に頼らず、いい人材をみつけたい、という思いからだろうか。人事や社員に紹介してもらえると、よりスムーズに入社できる。また、紹介で受かった場合、紹介者にもボーナスが入ることもあるので、まさにwin-winだ。だから、同じ大学やビジネスで多くの知り合いを持つことは、有利に働く。
南アフリカで働くジャーナリストのジェシカによると、南アフリカでも、コネは大事だそうだ。しかしそうなると、白人の人たちは、同じコミュニティ、つまりは白人の人材を紹介することになり、結果的に意図せずとも差別が起きてしまうことがあるらしい。だから、ここでも白人には好循環、黒人には悪循環が起こり続ける。格差とは、本当にそう簡単に埋まらないのだと、実感した。
そして格差や差別以外で、ケープタウンでの旅行がどうだったか、というと、本当に素晴らしかった。これまでヨーロッパを中心に、アジア、北米とたくさん旅行をしてきたが、その中でもダントツで行って良かった国だった。
ケープタウンの山は雄大で岩岩しく、海はポストカードのように青く澄んでいる。そう遠くない距離に、いろんな山、いろんなビーチがあるので、山好きにも海好きにも好きにも嬉しい場所だ。郊外にいけば、ワイナリーで有名な地域がいくつかある。場所によっては5分10分歩くごとに、違うワイナリーに辿り着けるため、ワイン好きにはたまらない。
さらに、ケープタウンの港町やビーチでは、野生のオットセイや、野生のペンギンを、間近で見ることができる。他の動物を見たければ、中心地から車で2時間ほどで、サファリの自然保護区に行くことができる。ライオン、サイ、レオパード、象、バッファローなどの動物たちを、自然の中で見つけることができるのだ。
ケープタウンはとにかく見所が多い。私は1週間滞在したが、もっと過ごせたなと思った。ビーチ、ハイキング、ワインや動物が好きな人であれば、何週間いても飽きることはないだろう。
皮肉なのは、こんなにも美しい景色がある街に、深い差別の歴史が色濃く残っていることだ。ケープタウンの美しさに圧倒されて、観光を純粋に楽しむたびに、これでいいのだろうか、という考えが、ふと頭をよぎった。あれは、罪悪感だったのだろうか。
山を登っても、ワイナリーに行っても、周りをみれば白人だらけ。最初はなぜだろう、と思ったけれども、冷静に考えれば、明白かもしれない。多くの黒人の人たちは、そんなことしている時間や、お金の余裕がないのかもしれない。
基本的に、観光客はタウンシップ、つまりは郊外の貧しい黒人の居住区には行かないように勧められている。私自身も、安全面を考慮して行かなかった。けれども、そういう場所にこそ、本当の生活があるのではないか?タウンシップに住む多くの人たちは、私達が見たキラキラした景色、世界とは、かけ離れた暮らしをしている。
ほぼ半数は失業者。仕事を見つけてることができても、給料は高くない。狭い場所で家族と住んで、家が壊れても、そう簡単には直せない。治安もすこぶる悪くて、盗まれるのは当たり前。殺人だってそう珍しくない。
そんな中で、いい景色が見えるワイナリーで、良いワインを飲もうなんてそんなことを、誰が思うのだろうか。車だって持っていない人も多いだろうに、ちょっとドライブしてハイキングしよう、なんて余裕がどこにあるだろうか。私が見たケープタウンというのは、現実を見ないで、あくまでいいところだけを取った景色だったのだと思う。
さらに、南アフリカで学んだことがある。私がずっと「南アフリカアクセント」だと思っていた、イギリス英語のようなアクセントは、あくまで南アフリカの白人に多いアクセントだった。南アフリカ全体のアクセントではなかったのだ。南アフリカの黒人の多くは、コーサ語、ズールー語などの、先住言語のアクセントがついた英語を話す。つまり、イギリス系ではなく、アフリカ系のアクセントになる。これに気づいたのは、黒人のホテルの従業員やUberの運転手と話すたびに、彼らがアフリカ人らしいアクセントを話していたからだ。
そうか、世界中に広まっていった南アフリカのイメージというのは、南アフリカの「多数派」の文化ではなく、あくまで南アフリカの「少数派」の文化からきたものだったのか、と考えさせられた。南アフリカの圧倒的大多数は黒人なのに、彼らの声や文化は、過去の権利の剥奪によって、世界になかなか届かない。そう考えると、心が痛いものである。南アフリカ人だって、どうせ世界に広まっていくなら、黒人の文化も伝わってほしいと思うのではないだろうか。今後、南アフリカの経済格差が改善すれば、黒人の文化も、世界に広まっていくのだろうか。
ケープタウンでの経験を通して、この経済格差は、何十年という単位では大きく改善されないのでは、と思った。白人に対する好循環、そして黒人に対する悪循環があまりに明白な上に、政治だって安定していない。度重なる汚職や、アパルトヘイト後のあまり変わらない生活などから、かつてネルソンマンデラが所属していた政党、ANCが、2024年の選挙で初めて、議席の過半数を失った。今後、改革でも起こらない限り、このペースだと人種の関係ない平等な社会が、そう簡単に想像できない。悲しいが、解決に近づくには少なくとも100年くらいはかかるのではないか、と思ったのが、正直な感想である。


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